- スキゾイドが怒らない理由3つ
- スキゾイドと共感力について
- 怒らないスキゾイドの考えていること
目次
スキゾイドとは
スキゾイドとはひとりが好きな人のことです。
スキゾイドは怒らない?
スキゾイドはよく、怒らないといわれます。
スキゾイドは喜怒哀楽が乏しく、自分の感情を表現することをほとんどしません。
そのため怒らない、喜ばない、感情がない…と思われやすいです。
しかし、スキゾイドにも心はあります。
ただ、スキゾイドは自分の心に何重もバリアをはっているため自分の感情に気づかないだけなのです。
スキゾイドが怒らない理由3つ
他人に期待をしていない
スキゾイドは他人と自分の境界線をハッキリと線引きしています。
他人と自分はちがうし、自分が他人をどうにかできると思っていません。
そもそもスキゾイドは他人にまったく期待をしていないのです。
スキゾイドは自分の感情を自分で始末することに慣れています。
怒りに支配されるのがこわい
スキゾイドは普通の人より感情に敏感です。
スキゾイドは過去の経験やトラウマから、自分が感情の波に飲み込まれてしまうことを極度に恐れています。
自分が感情に支配されて他人に影響を与えてしまうことも、他人が自分の内側に土足で侵入してくることもスキゾイドにとって許せないことです。
自分自身をコントロールして自分のことを守ろうとしているスキゾイドにとって、自分でコントロールできない「感情」は排除しなければならないものなのです。
人間関係に興味がない
スキゾイドは人間関係にまったく興味がありません。
他人のことを信用していないし、他人と心を通わせられるなんて1ミリも思っていないからです。
スキゾイドは他人にどんな暴言を吐かれようが、心にさっとバリアをはって(自分も気づかないくらい無意識に)、自分の感情の揺れをスルーします。
スキゾイドにとって他人と関わることは、自分の感情を乱すことに直結します。
そのためスキゾイドは一人でいることを好み、人とのつながりをもとうとしません。
スキゾイドは怒らないのではない
スキゾイドは怒らないのではありません。怒りを表現しないだけです。
スキゾイドは病気ではないし、心のないサイコパスでもないので喜怒哀楽をちゃんともっています。
スキゾイド(の感情表現)は自己完結型です。
普通の人は相手と感情を共有しお互いに共感し合うことで精神的に安心しようとします。
しかしスキゾイドは他人と共感し合えると微塵にも思ってないので、自分自身で解決しようとします。
その結果スキゾイドは自分の内的世界を充実させて精神を安定させようとし、ひとりの時間を好むのです。
スキゾイドは心で共感できない
共感には2つの種類があります。
「認知的共感」と「情動的共感」です。
認知的共感とは、人の感情や思考を頭を使って知的に認識することです。
情動的共感とは、人の感情や思考を頭ではなく心で感じとって反応することです。
スキゾイド気質のある人は認知的共感力はあっても、情動的共感力は低い傾向があります。
スキゾイドは人の感情や思考について頭で理解することはできても、(心にはったバリアの影響で)心で人の感情や思考を感じとることが苦手です。
怒らないスキゾイドの考えていること
スキゾイドは自分以外の人間がどうなろうとまったく関心がありません。
他人が他人に対してなぜ必死になれるのか理解できないし、誰かのために何かをしたいという感情もありません。
愛とか恋とか友情とか、大人になってもずっとわからないままです。
スキゾイドに恋人や友達がいないというわけではありません。
ただ、心の奥底では自分以外のすべてのものがどうでもいいと思っているのです。
自分自身で自分はなんでこんなに冷めているんだろうと思うことがあります。
スキゾイドはほとんど感情が動かないので他人と感情の交流をしませんが、自分の内的世界に浸っているときに自分の感情があふれだすことがあります。
まとめ
スキゾイドは人に対する感情表現はほとんどしませんが、自身の内側の自分だけの世界で思う存分感情を表現しています。
スキゾイドにとって、自分以外の人や世界は安心できない危険な場所です。
自分が乱されて、傷つく可能性のある場所です。
スキゾイドの感情表現には他人を必要としません。
怒りも喜びも哀しみも楽しみも、スキゾイドにとって感情はすべて自分一人で完結するものです。
スキゾイドからしたら他人に自分の感情をぶつけることは本当に意味のないことなのです。